●野見宿禰(のみのすくね)
出自:日本
別名:─
同一:─
前神:─
字義:─
容姿:─
家族:─

相撲の守護神。
相撲は元は綱引きと同じく豊穣を祈願する宗教的儀式であった。
勝負によって神意を得て豊作を約束される物で、最初から勝利者は決まっていた。
試合はあくまで形式に過ぎなかった。
競技としての相撲が行われる様になったのは、垂仁天皇7年(紀元前23年)の事。
大和の当麻の邑に当麻蹶速(たいまけはや)と言う力自慢がいた。
当麻蹶速は牛の角をへし折り、曲がった鉤を引き伸ばす事が出来る程力が強かった。
自分より強い者がいたらぜひ力比べをしてみたいと言い暮らしていた。
その存在を知った天皇が、臣下に誰か敵う者はいないかと問うた。
一人の臣の申し出により出雲国(いずものくに)の野見宿禰と言う勇士を召し出し、二人を角力(すもう)で対決させた。
野見宿禰は当麻蹶速の脇骨(かたわらぼね)と腰骨を蹴り技で折って殺してしまった。
野見宿禰は当麻蹶速の所領をたまわり、そのまま天皇に仕えたと言う。
この二人の勝負が「角力」の文字が使われた最初で、日本史上初の天覧試合だった。
以来、角界では野見宿禰と当麻蹶速は守護神とされる様になった。
この試合が行われた場所、奈良県桜井市穴師の大兵主神社の末社である相撲神社が建てられた。
相撲神社の祭神として野見宿禰と当麻蹶速の2神を祀っている。
ちなみに、当時の相撲は現代の相撲とは異なる。

野見宿禰は垂仁天皇の皇后日葉酢媛(ひはすひめ)の葬儀の時、殉死を止めた。
葬儀の際には埴輪を用いる事を進言した人間であると伝えられている。

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