● 出自:日本 天平宝字2年(758年)−弘仁2年5月23日(811年6月17日) 別名:─ 同一:─ 容姿:─ 家族:父に坂上苅田麻呂 平安時代の武官。 大納言正三位兼右近衛大将兵部卿。勲二等。死後従二位を贈られた。 中央で近衛府の武官として立ち、793年に陸奥国の蝦夷に対する戦争で 大伴弟麻呂を補佐する副将軍の一人として功績を上げた。 弟麻呂の後任の征夷大将軍になり、801年に敵対する蝦夷を討って降した。 802年に胆沢城、803年に志波城を築いた。 810年の薬子の変では平城上皇の脱出を阻止する働きをした。 平安時代を通じて優れた武人として尊崇され、後代に様々な伝説を生んだ。 |