●セテウス●
出自:ギリシア神話
別名:─
同一:─
前神:─
字義:─
容姿:─
家族:父にアイゲウス(一説によるとポセイドン)、母にアイトレ、ヒッポリュテ(あるいはアンティオペ)との間の子にヒッポリュトス

伝説的なアテナイの王。
7人のギリシアの勇敢な英雄達の一人。
ソポクレス「コロノスのオイディプス」によると、憐み深い賢知の王。
プルタルコス「英雄伝」によると、古代ローマの建国の父ロムルスと共に偉大な人物。

トロイゼンで育てられ16歳の時アイゲウスに息子として認めさせる為、アテナイに向かった。
セテウスはあらかじめ陸路の危険について警告されていた為アテナイには安全な海路を取る事も可能であった。
しかしセテウスはあえて危険な陸路を選び、道中の山賊や怪物を討ち果たした。
他にもカリュドンの猪狩りに参加したり、金羊毛皮を捜し求めるアルゴ船探検隊(アルゴナウタイ)の冒険に参加した。
アテナイでは、アイゲウスの妻メデイアがテセウスを毒殺しようとした。
テセウスはこの陰謀から逃れ、身に着けていた剣とサンダルによって身の証しをたて、アイゲウスから息子と認められた。
そして、メデイアはアテナイから追放された。

当時アテナイはクレタ島のミノスの命により、毎年最も美しい7人の若者と7人の乙女をミノタウルスへの生贄として捧げていた。
テセウスはミノタウルスを倒す為、自ら進んで生贄の一人となった。
ミノタウルスが幽閉されているラビリントスは脱出不可能な迷宮であった。
テセウスはアリアドネから貰った麻糸玉の端を入口の扉に結びつけ、麻糸を伸ばしながら迷宮の奥へと進んでいった。
ミノタウルスを討ち果たし、麻糸を辿る事でラビリントスからの脱出にも成功した。
クレタ島から脱出した時は船に白い帆を掲げて帰還するとアイゲウスに約束していた。
しかしテセウスがこれを怠り、出航時の黒い帆のまま帰還した。
これを見たアイゲウスはテセウスが死んだものと思いこみ、海に身を投げてしまった。
アイゲウスを継いで王になったテセウスは憐み深い王としてアテナイを治める一方、
アマゾンの女王ヒッポリュテ(もしくはアンティオペ)を浚う。
その後にアリアドネの妹のパイドラと結婚した。
パイドラの密告でヒッポリュトスに腹を立てたセテウスは、息子を殺してしまう。
またある時セテウスはペイリトオスと二人でかつて誓ったゼウスの娘と結婚しようと言う約束を果たす為、 まず彼等はヘレネを誘拐した。
ヘレネの兄弟であるカストルとポリュデウケスが彼女を取り戻すと今度はタルタロスに侵入しペルセポネーを誘拐しようとした。
この襲撃は失敗し、ヘラクレスに助けられるまで彼等はタルタロスに閉じ込められ恐ろしい責め苦にあう事になる。
他にもオイディプスを助けたり、クレオンを王座から追う為テーバイを攻略した。

晩年は王位を追われ、スキュロス島の王リュコメデスの元に身を寄せていた。
リュコメデスはテセウスを裏切り、彼を崖からつき落として殺してしまった。
デルポイの神託によって、テセウスの遺骸はアテナイに戻された。
死後、アテナイの人々から半ば神に近い名誉を与えられ手厚く葬られた。

歴史の中の逸話として、マラトンの戦いで劣勢だったギリシア軍が敗れ掛けた時、セテウスの青銅像が彼等を導いて攻勢に転じさせた。
ペルシャ軍の戦陣を破っておさめたこの勝利は、その後三千年にも渡って勢力の均衡を東から西へ移行させた物だった。

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