●ワロチリ文書(ぶんしょ)
出自:インカ
別名:─
同一:─
前神:─
字義:ワロチリ→現リマの東方、アンデス西部にあるインカの一地方
容姿:─

スペインによる征服後に書かれたインカの文書。
17世紀初頭(1608年頃)に編まれた。
スペイン征服期以前におけるインカ帝国のアトゥンルナ(一般庶民)の宗教的信仰に関する、
最も貴重かつ詳細な資料。
ケチュア語で書かれており、土着の年代記者の手になる物である事は間違いない。
イドラトリア(偶像崇拝)と同様に、地方の偶像崇拝根絶者フランシスコ・デ・アビラの命令で編纂された。
ワロチリの居住民はヤウヨのアイユ(親族集団)に属し、インカの主都における政策を反映して
アナン(上)・ヤウヨとルリン(下)・ヤウヨの二つのグループに分けられていた。
この文書に記録されている情報には、ルリン・ヤウヨの下部組織であるチェカとコンチャと言う
二集団に関する物も含まれている。
それによれば、チェカ族は牧畜民、コンチャ族は農耕民であった。
ヤウヨと言う呼称自体は一般的な社会集団分類では「よそ者」を意味する。
この事は少なくとも牧畜民であるアイユのメンバー、すなわちチェカ族が恐らく南方からこの地域に新しく
移住してきた人々であり、先住の低地農耕民と補完的に位置する存在として自分達を位置していた事を示唆している。
しかし農耕民達もまたヤウヨである。
だとすれば、彼等より遡った時代にこの地域に移住してきて、既に先住民と融合していった物と思われる。
ワロチリ地方のヤウヨの主神は、神ワリャリョ・カルウィンチョとそのライバルの神パリアカカであった。

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